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札幌地方裁判所小樽支部 昭和44年(ワ)98号 判決

原告 松田道之助

被告 嶋野海運株式会社

主文

1、被告は原告に対し六一万三、二〇〇円及びこれに対する昭和四四年五月二九日から完済迄年五分の割合による金員を支払え。

2、原告のその余の請求を棄却する。

3、訴訟費用はこれを八分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

4、この判決の第一項は原告が二〇万円の担保をたてたときは仮りに執行することができる。

事実

第一、申立

原告は「被告は原告に対し五一六万三、二〇〇円及びこれに対する昭和四四年五月二九日から完済迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求原因

一、海難の発生

被告所有の船舶第二〇淡路丸(九六トン)(以下単に「淡路丸」という)は昭和四四年二月六日午前六時ごろ、前夜からの暴風雪を避けるため小樽港内に停泊したところ、そのころ一段と激しさを増した風波のために係留索が引きちぎられ、乗組員が居ないまゝ港内を漂流し、他船との衝突の危険をはらみつゝ強い潮流によつて港外に向つて流された。

当時同港間口附近の波高は六ないし九米で秒速一五ないし二〇メートルの暴風雪が吹き荒れ、このまゝの状態では港外に漂流し高波を受けて転覆沈没するか、もしくは坐礁することが必至であつた。

二、救助

第五晴芳丸四二トン(船長は原告、乗組員は他九名、以下晴芳丸という)も漁船であつて、前同日同港内に投錨仮泊中、同日午前七時頃淡路丸を同港間口附近に発見し、同日午前八時頃右附近で危険をおかして淡路丸に接近し、乗組員二名がこれに移乗して両船をロープで連結し、同日午前一〇時ごろかろうじて淡路丸を同港第三埠頭まで曳航し、こゝで被告に引渡した。したがつて被告は救助に従事した晴芳丸の所有者、船長および乗組員ら全員に対し、次に記載の救助料の支払をする義務がある。

三、救助料

右の救助料は五二五万円となる。算定の基礎となる事情は次のとおりである。

(1)  危険の程度

当時の暴風雪は、台風なみの大低気圧によるもので、当時小樽港内の漁船も数隻右嵐しのために漂流、坐礁などの災害にあつている。その上淡路丸は突堤から五〇メートルしかはなれておらず当時の現場状況からみてあと五分もおくれていたら防波堤に激突して沈没するか、間口に圧し流され、手の施しようがなくなつていたものである。

(2)  救助の結果

淡路丸の価格は三、五〇〇万円であるが、無傷の状態で救助されたので、被告はこれを従前どおり使用して収益をあげている。

(3)  救助行為による損害

本件海難救助により、晴芳丸は左舷側を破損し、応急修理に七万六、八〇〇円の支出をしたほか、すけそ漁一航海分に相当する三日間の修理期間中操業をすることができなかつた。一航海分の売上げは一三六万円に相当する。又本修理のため約一五日間の休業を要する。

(4)  漂流物の拾得

水難救助法二四条によると、単純な漂流物拾得者に対してさえ物の価格の一〇分の一に相当する金額以内の報酬を受ける権利を認めており、本件においてはそれとの比較において淡路丸の価格の一〇分の一、五程度は支払うべきである。

四、一部弁済

被告は、晴芳丸所有者に対し、前記破損部分応急修理費として金七万六、八〇〇円を支払い、船長である原告に対し酒代として金一万円を支払つたから、これらを救助料に充当した。

五、結論

よつて原告は、救助に従事した船舶の船長として、本件海難救助料債権者たる船舶所有者、船長および乗組員ら全員のため、被告に対し、救助料残金五、一六三、二〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四四年五月二九日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁

一、請求原因一の事実中、淡路丸が昭和四四年二月五日小樽港内に停泊し、翌六日右船が乗組員のないまゝ港内に流動したこと自体は認めるが、その余の事実は否認する。

六日当日の状況は次のとおりである。

淡路丸は、同月三日小樽港手宮岸壁沖合に双錨で投錨し、船尾は両舷とも係留索を同岸壁から取つて係留していた。同月五日午後四時ころ天候が悪化したため、更に両舷に係留索各一本を追加し、船長小林立憲外乗組員二名が当直勤務についていた。

翌六日午前八時ころ暴風雪のため左舷係留索が切断したため、船長外乗組員二名は、アユミ板を渡り岸壁に上陸し、係留索の準備とアユミ板のかけ替え作業中、同八時三〇分ころ右舷係留索が切断した。船長らは同船に乗船する暇もなく、同船は南東に流動し、投錨地点に錨泊の状態となつた。

小林船長は、同岸壁において同船を監視するとともに、これに乗船するため乗組員二名に便船の手配と他の乗組員の召集を命じた。

同船は、左舷錨は切断したが、右舷錨を引きながら徐々に南東に流動したものである。

同一〇時ころ小林船長は、乗組員五名とともに小樽市所有の曳船立岩丸(三四トン)に便船し、淡路丸の流動地点に向い急行したので、同船が港内は漂流し他船と衝突する危険もなく、港外に漂流したり、転覆沈没あるいは坐礁するおそれもなかつた。

二、同二の事実中、原告主張の日に晴芳丸が淡路丸を救助して第三埠頭附近(沖合二〇メートルである)まで曳航したことは認めるが、その余は否認する。晴芳丸が救助に向つたのは午前九時頃であり、又救助したところは同港間口から三〇〇メートル港内寄りである。

三、同三の事実は争う。

四、同四の事実は認める。

第四、被告の抗弁

被告は原告主張額のほか晴芳丸の上架料金として四万八、〇〇〇円を晴芳丸所有者に支払つた。

第五、証拠〈省略〉

理由

一、昭和四四年二月六日朝、小樽港内(救助箇所がどこであるかの点は別として)において漂流中の淡路丸を晴芳丸が救助し、第三埠頭附近までこれを曳航したこと自体は当事者間に争いがない。

そうして証人小林立憲、同本間誠治の各証言、原告本人尋問の結果(右証言中後記採用しない部分を除く)に次の各項末尾にかゝげた証拠をあわせると、次の事実を認めることができる。

1、右前日の二月五日朝から全道は二つの低気圧が一緒になつた台風なみの大低気圧のため暴風雪となつていたが、その日の夕方になると北西の風が急に強まり小樽港などの日本海沿岸では波浪が急激に発達し視界も悪くなつたこと、翌六日朝午前六時現在の小樽港間口(赤燈台と青燈台との間)附近では北西の風が毎秒一五米から二〇米の吹雪になり、海面状態は波の高さも六ないし九米で相当荒れ、右の状態は午前一〇時近くまで続いたこと、このため附近の多くの船舶は小樽港内に避難したが、六日朝には右暴風雪のため、同港北浜岸壁に係留されていた漁船の中には係留索を切断されて風浪に圧し流され港内で浸水沈没したもの、同港内造船所に上架中の漁船には横倒しになつたもの、同港高島防波堤に係留中の漁船の中にはロープが切断され港外に圧し流されて坐礁したものがあり、また港外では船が乗組員とも行方不明になつて遭難するなどの事故が相当数発生したこと(成立に争いのない甲一、二、七、八号証、証人松原利晴の証言(第一回)により成立を認める甲三号証)。

2、淡路丸は九六トンの鋼船の漁船で船長の他乗組員は一七名であり、二月三日から小樽港第三埠頭横の北浜岸壁に双錨で投錨し船尾は二本の係留索で岸壁に係留されていたこと、同月五日前述のように天候が悪化したので更に係留索を一本追加し、船長他二名が当直していた。ところが翌六日朝七時半頃暴風雪のため係留索二本が切れてしまつたので、その補充のため右当直員らがアユミ板をわたり岸壁に上つて右作業をしているうち残る一本も切れ、更に左舷の錨綱が切れたため淡路丸は乗組員のいないまゝ流れ出し、右舷錨は残していたがこれがきかない状態で、前記烈しい北々西の風波によつて、南東に流されて行つたこと。船長らは便船の手配をすると共に岸壁で船を追つたが烈しい風波と視界不良のためすぐに淡路丸の所在を見失つてしまつたこと。

3、他方第五晴芳丸は原告が船長、乗組員九名(以上の事実は争いがない)の四二トンの鋼船で、当時漁獲物を満載しており、嵐のため前日の二月五日午後一一時頃小樽港内の間口(赤燈台と青燈台との間)から二〇〇乃至三〇〇米岸よりに入つたところに投錨仮泊していたが、六日午前八時頃附近の船から淡路丸が漂流し破損する危険があるので救助されたい旨の通信を受け、前記嵐と潮流の状態からみて間口の方に流れ出しているものと判断し自らの錨綱を切断し急いで救助に向つたこと。

4、間もなく晴芳丸は港内北防波堤突端から基部方向へ四〇〇乃至五〇〇米、岸壁寄りに四〇乃至五〇米離れた附近に淡路丸が波にあおられて錨がきかず風に対し横向きになつているのを発見したこと。防波堤の海面よりの高さは一、五乃至二米位であるところ、当時突堤を乗り越えて外海から港内に押し寄せる波と、港内から外海にあふれる波が入りみだれ、淡路丸はその波にあおられていたこと。

ところで原告は両船体に差があるのと場所的に危険であつたために晴芳丸を淡路丸に接舷させ乗組員二名を移乗させて淡路丸を操縦させ、かつ残つていた右舷の錨綱を切断しドラム缶をつけて離す作業をさせ乍ら、淡路丸を第三埠頭附近まで曳航したところ淡路丸の船長らが便乗し、淡路丸をさがしに出ていた小樽市の曳船の立岩丸(三四トン)と出会い、淡路丸を引渡したこと。

曳航途中一〇時一七、八分頃原告は淡路丸の船主あて同船を救助した旨を打電したこと(前掲甲二号証、証人松原利晴の証言(第一回)によりその成立を認めうる甲一六号証の一、二)。

以上の事実を認めることができる。前掲証人の証言中、以上の認定に反する部分は採用しない。

被告は、淡路丸が漂流し、救助された箇処は小樽港間口から約三〇〇米港内に入つた四号ブイの附近であると主張し、右の箇処附近に淡路丸の右舷錨をつけたドラム缶が浮いていたことは前掲証人小林立憲、同本間誠治の証言によつて認められるところではあるが、原告本人尋問の結果、前掲甲一六号証の一、二の記載によると、前認定のとおり晴芳丸が発見した際の淡路丸の位置では錨綱切断の作業が困難であつたために場所を移動させてその後錨綱を切つたことが認められ、錨綱切断の地点即ち曳航開始の地点とはいえないから、被告主張の箇処をもつて発見した際に淡路丸が漂流していた地点とは認め難い。

以上に認定の淡路丸の漂流状況、風波の状況からみると、今しばらくおくならば淡路丸は防波堤にぶつかるか、間口に進み港外に流出するおそれがあり、したがつて乗組員の全く乗つていない淡路丸としては自力ではこれを防ぎ得ない程度に至つていたものというべく、いわゆる海難に遭遇した場合にあたり、晴芳丸は義務なくしてこれを救助したものであると認めるを相当とする。

したがつて、被告は晴芳丸船主、乗組員に対し右海難救助に基づく相当の救助料を支払う義務があるというべきである。

二、そこで救助料の額について検討する。

救助料の額については、救助の結果得た淡路丸の状況、淡路丸、晴芳丸、同乗員の遭遇した危険、晴芳丸同乗員の費した時間、労力、受けた損害に救助された淡路丸の価格等諸般の事情を総合して決めるを相当とするから以下それらの点について判断を進める。

1、本件海難救助の際における当時の状況は先に認定したとおりであつて救助に要した時間は約二時間であり、救助位置は港内ではあるが風雪波浪の強さ、両船の大きさの差異、晴芳丸が満船の状態であつたこと、後記認定の晴芳丸の被害状況等からみて、作業はかなり困難であつたことが認められる。更に証人松原利晴の証言(第一、二回)、原告本人尋問の結果、各供述により成立を認め得る甲一一、一二号証、成立に争いのない同一三号証、一四号証の一、二、一五号証によると、救助の際、晴芳丸の乗組員は全員乗船しており、皆で救助にあたり、内一名は右手に怪我をし、そのため約一週間休業したが、船主は右乗組員にその間少くとも一万三、〇〇〇円の給料を支払つていること、更に晴芳丸自体右救助の際、船首、左舷ともに損傷を生じ、そのため同年二月一〇日から四、五日の間仮修理を受け右仮修理には七万六、八〇〇円を要したこと、当時仮修理にとどまつたのは被告が休漁しないよう求めたことによること、更に同年五月三〇日から同年七月三〇日まで右本修理をかねて船の定期修理をし、右損傷部分の本修理には合計一三万一、〇五〇円を要したが、内期間の三分の一は前記本修理に要した期間であつたこと、又前記修理期間中晴芳丸は操業することができなかつたが、仮修理期間中は「すけそ漁」の時期で一航海分にあたり、一航海分で一箱七二五円のすけそが一〇〇〇箱から二、五〇〇箱とれ、したがつて少くとも七二万五、〇〇〇円の漁獲を上げることができなかつたこと等の事実が認められる。

又成立に争いのない甲四号証によると淡路丸の価格は三、五〇〇万円であることが認められる。

以上の事実を綜合し、とくに港内であることと作業が比較的困難であつたことを考慮し、被告が原告に支払うべき救助料の額は、淡路丸の価格の一〇〇分の一を基準とし、これに前示の晴芳丸船主、同乗員のうけた損害額を加味し、七〇万円と定めるのが相当である。被告代表者本人尋問の結果中には日本海エビ籠漁業協会では曳航一時間につき四、〇〇〇円と決められており、右の程度で通常行われている旨の供述部分があるが、右慣行が小樽港出入りの船舶間で通常行われているとの点についてはこれを認めるに足る十分な証拠はなく、海難救助料は危険の程度や得た結果、被援助者の免れた損害額など具体的な事情によつて決めらるべきものであるから、右証拠は採用しない。

三、被告が晴芳丸船主に対し応急修理費として七万六、八〇〇円、原告に対し酒代名義で一万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、その他の金員を支払つたことについてはこれを認めるに足る証拠がない。

したがつて前記救助料の額から右弁済額八万六、八〇〇円を差引くと六一万三、二〇〇円になり、被告は原告に対し右金額及びこれに対し、本件訴状が被告に送達されたこと記録上明らかな昭和四四年五月二九日から完済迄民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

四、以上の次第であつて、原告の本訴請求中右に認定の限度で理由があるのでこれを認容し、右を越える部分については理由がないのでこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担について民訴法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 広岡得一郎 丹宗朝子 糟谷邦彦)

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